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尾崎将司 死去

この選手が、甲子園のスターで、西鉄ライオンズで一度は将来を嘱望された選手だったことを知る人も少なくなったのではないか。

徳島県南部の宍喰町出身。今は海陽町になっている。海南高校時代選抜で優勝し、一躍有名になる。

ドラフトが導入される直前の1965年に、西鉄ライオンズに入団。同期入団の下関商、池永正明とはライバルと言われたが。

投手としてのキャリアSTATS

野球時代は「正司」。こちらが本名。ライバルの池永正明が20勝を挙げる中、尾崎は6被本塁打と躓く。

二軍では結果を残すも、翌年も一軍では3試合に投げただけだった。この時期の尾崎は「二刀流」で、二軍では外野手で出場。

そこで67年は外野手登録となるが、

一軍では2安打を打ったのみ。周囲は尾崎の資質を高く評価していたが、尾崎自身がこの頃夢中になっていたゴルフの道に進みたいと言う意向を持っていて、67年オフに退団した。

昭和のゴルフ界で「ジャンボ尾崎」は、最大のスターであり、野球で言う王貞治のような存在ではなかったか。

海外メジャーで勝てず、国内で無敵、と言うのも王貞治をイメージさせる。

私はゴルフの世界はあまり知らないが、青木功、中島常幸と「AON」と言われたが、実力的には他の二者をしのいでいたのではないか。

昭和の終わりころ、つまりバブルの時代にゴルフ場の仕事を良くしたが、尾崎のラウンドを間近で見たこともある。

ヘビースモーカーで、スタート前に練習グリーンでも弟子に灰皿を持たせてタバコを喫いながらパターの練習をしていた。

S字結腸癌の最大の要因は喫煙、続いて飲酒と言われる。昭和のゴルファーの生活習慣が、彼の死を早めたとすれば残念なことだ。

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高代延博



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