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長嶋茂雄世代の打者たち

もう、過半が鬼籍に入ってしまったが、長嶋茂雄世代(1935年4月2日から36年4月1日生まれ)のNPB選手の成績を出してみた。まずは打者。

通算100安打以上。投手も含めて36人いる。

1位は野村克也。なんといっても1954年から80年まで、55年は一軍出場はなかったが、実働26年という長さもあって、安打、ホームラン、打点など積み上げ型の数字で1位になっている。

そして2位はもちろん長嶋茂雄。1958年から74年まで、わずか17年でこの成績を残したのだから大したものだと思う。

2000本以上はこの2人だけだが、惜しかったのが毒島と小玉。ともにパ・リーグの中心選手として永く活躍したが、2000本が今ほど大きな価値があるとみなされなかった時代だけに、毒島はあと23本、小玉はあと37本で引退している。

毒島は東映の田宮謙次郎監督から「打ったも同然だよな」と言われて引退させられたと言う。

小玉は選手生活晩年に近鉄から阪神に移籍した。生え抜きでない分「2000本まで」とは言いにくかったのではないか。

毒島は外野手、小玉は三塁手だった。

近藤和彦は俊足巧打の左の一塁手。明治大では長嶋茂雄のライバルだった。

岡嶋は俊足で鳴らした内野手。盗塁王2回だが、220盗塁140盗塁死、成功率は高くなかった。

藤井弘は広島の一塁手。長嶋茂雄が新人の1958年、ホームランを打って一塁を空過したときに、それを審判にアピールしている。

森徹も早稲田大時代に長嶋のライバル。2年目に本塁打、打点の二冠王。

土屋正孝は、長嶋茂雄の前の「巨人の正三塁手」だ。後国鉄。

西鉄の二塁手だった仰木彬は、引退後に指導者として大成した。

本屋敷錦吾は立教で長嶋のチームメイト。芦屋高時代甲子園で活躍し、立教大入学時は、長嶋よりもはるかに有名だった。

以下には投手もたくさん並ぶ。DH制がなかった時代には、投手も負けずに安打を打っていたのだ。

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