トニ・ブランコ 不慮の死
タイロン・ウッズの穴を埋めるべく、森繁和コーチがドミニカ共和国で探してきたスラッガーだ。
一時期、私は森さんと話をする機会がよくあったが、ドミニカ共和国やキューバの選手は「肉を食わせてやる」と言って連れてくるといっていた。
「でも、来たときはいい肉は食わせない。アメリカ産の固い肉だ。でも奴らは喜んで食う。試合で活躍したら、和牛を食わすんだ。そりゃ奴らは頑張るんだよ」
ブランコはそういう森ルートの最初の一人だっただろう。
キャリアSTATS
高校を出てレッドソックスに入団。2002年、ジョン・シグペン、トッド・ウォーカーとの三角トレードでレッズへ。2004年にルール5ドラフトでナショナルズへ。2005年にメジャー昇格するもFAになりロッキーズへ。FAになったところで中日に入団が決まった。
私が「成功する外国人」の条件だと考える「右打者」「出世前」「出塁率」の3条件を満たす外国人であり、1年目に二冠王。ウッズの穴を埋めた。
しかし中日は年俸が上がるとあっさり外国人選手を放出する。高木守道監督との確執もあり、DeNAに。
DeNAでは首位打者を獲得。その後、オリックスに移籍してキャリアを終えた。
NPBで才能が花開いた選手だといえるだろう。
8日、ドミニカ共和国のサントドミンゴのジェット・セットナイトクラブ天井崩落事故で死亡。226人が死んだ大事故だった。このとき、一緒にいたのがエステバン・ヘルマンだったという。
ヘルマンも懐かしい名前だ。キャリアSTATS
ブランコより3歳上。96年アスレチックスに入団、4年目にメジャー昇格。
トレードでロイヤルズに移籍、ここではユーティリティとして2年連続で100試合に出場。キャリアハイとなった。本塁打は少なく、出塁率の高さと俊足で鳴らした。
2012年西武に移籍、1番打者として2年連続で40盗塁。長打はなく出塁率が高いという、誠に珍しい外国人だった。
2014年にオリックスに移籍。15年にブランコとオリックスでチームメイトになった。
事故当日、ブランコはヘルマンと一緒だったが、トイレから戻ったヘルマンが席に就こうとした刹那に天井崩落が起こり、ブランコはヘルマンを突き飛ばした。ヘルマンは命拾いしたが、ブランコは犠牲になったという。
ドミニカ共和国は地震が比較的多いはずだが、おから建築が残っていたということだろうか。
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