ジョージ・アルトマン死去
NPB史上最高の外国人選手の一人だと思うが、その死はほとんど報じられていない。
1933年生まれ、金田正一や吉田義男と同世代。カンザスシティ・モナークスを経て1956年、カブスに入団。
キャリアSTATS
1957年は兵役で1年ブランクとなるも順調に出世して59年にメジャー昇格。その点では王貞治や張本勲とデビューが同じだ。
この年は中堅を守る。遊撃手はMVPに輝いたアーニー・バンクス。一塁はのちに中日に来るジム・マーシャル。三塁手はのちの名監督のアルビン・ダーク。カブスのヘッドコーチのロジャース・ホーンズビーは選球眼の良さとシュアな打撃を評価している。
長身でパワフルな左打者ではあったが、打率は高く、三振は少なかった。
1961年には右翼を守り3割をマーク、オールスターにも出場し、MVP投票でも票が入った。8月4日のドジャーズ戦では4回と6回にサンディ・コーファックスから2本塁打。
翌年もオールスターに出場。スター選手となる。しかしこのオフにトレードでカーディナルスへ。スタン・ミュージアルと打線を組むもパワーダウンし、オフにトレードでメッツへ。
しかし成績不振でトレードでカブスに戻る。ここからはレギュラーを奪えず、マイナー落ちも経験して68年に35歳で東京オリオンズへ。
ベテランの域に達していたが、彼の技術は当時のNPBでは群を抜いていて、いきなり打点王。以後も中軸打者として安定感のある打撃成績を残す。
有藤通世、アルトゥーロ・ロペス、江藤慎一、榎本喜八らと組む打線は強力。当時の監督は日系二世の農人渉であり、コミュニケーションも良好だったようだ。
39歳の72年にはコーチ兼任となる。電車でグラウンドに通勤するときは常に本を読んでいるという物静かな野球人だった。
子どもからは「あしながおじさん」と呼ばれ人気があった。74年に大腸がんがわかる。金田正一監督はアルトマンを放出。入団テストを受けて阪神に入団。
193㎝のずば抜けた長身で、最終年だけは一塁を守っていた。
私などは「活躍した外国人」と言うとすぐにアルトマンの名前が浮かぶのだが。
がんを克服し、引退後はシカゴ商品取引所の株式を取得しトレーダーとして生計を立てた。
黒人が差別を受けた時代に、誠実に野球をし、生きた、と言う印象だ。
今年11月16日、76年に再婚したエタ夫人が病死、その8日後の24日にアルトマンも後を追った。92歳だった。
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