自分たちと同じだと思うのは、笑止千万だ。

上沢の話もそうだが、NPB選手の移籍を巡るトラブル、とりわけファンが騒ぐ騒動の背景にあるのは、「自分たちに置き換えて考える」という同質性の高い日本人特有の感覚だろう。 多くの日本人は、会社、団体などに所属する「サラリーマン」だ。特殊な職種を除いて、多くの人々は「会社に雇われている」そして「会社がやれと言う仕事をして、給料をもらっている」。今でも大半の日本人は「辞めろと言われない限り、ずっとその職場にいる」ものだ。 そういう感覚の日本人の多くは、所属する会社、団体に「ロイヤリティ」を感じている。また会社も社員に「帰属意識」を求める。経営者や上司に対して気配りをすることも、給料に関係なくとも社内行事に参加することもサラリーマンとしては「当たり前」だ。 そういう会社員は「会社に育ててもらった」と思い「会社を裏切れない」と思うようになる。 また、ずっと同じ会社にいる人や、転職しても同じような会社に移った人は、「世の中の人は自分と同じようなものだ」と思うようになる。 プロ野球選手は、サラリーマンではなく、個人事業主だ。そして「野球をする」という能力一点で球団と毎年契約をしている。球団がその契約を継続しなかったり、選手本人が「やめたい」と思えば、そのチームの選手であることはできない。 野球はチームスポーツであり、チームへのロイヤリティは当然あるが、例えばサラリーマンが経営者に示す「死ぬまでついていきます」的な忠誠心ではない。当然、協調性は示すが「チームはチーム、俺は俺」という矜持も持ち合わせている。 上沢直之だけでなく、どんな野球選手でも「望まれて、より条件の良いチームに移籍する」ことを常に思っている。それが夢だ。 「球団に骨を埋めます」というのは、戦力が落ちて、クビの危機を感じるようになった選手だ。彼らは「サラリーマンまがい」の忠誠心を示すようになるのだ。 しかし、球団は引退した選手と「正社員契約」を結ぶことはない。多くが年契約であり、定年よりかなり以前に契約を打ち切られるものだ。この点、日本のサラリーマンとは似て非なる境遇だと言える。 上沢直之に対して「1年で戻ってきて敵チームに行きやがって」とか「球団の施設で練習していたのによそに行きやがって」という連中は、野球選手と自分たちちんけなサラリーマンの区別がついていない。 ちんけなサラリーマンは「会社のためなら何でもします」と言い続けておまんまにありつけているわけだが、プロ野球選手は力が落ちればスパッと切られる。力のあるうちに生涯年収を上げるためにどこへでも行く。それが「プロの矜持」だ。