マイク・グリーンウェル死去
これほど評判の悪い外国人選手はいないだろう。MLBでは80年代屈指のアベレージヒッターではあった。
1982年、ノースフォート高からドラフト3巡目(全体72位)でレッドソックスに。同期1位にはドワイト・グッデン、2位にはバリー・ボンズやバリー・ラーキン、デビッド・ウェルズがいる。
ジョージ・ブレットが憧れの選手で、三塁を守っていた。高校時代は3年間で三振を10個くらいしなかった言う。シュアな打者だったのだ。
キャリアSTATS
マイナー時代に左翼手になる。
1985年9月5日にメジャー昇格。初出場はジム・ライスの代走だった。メジャー初安打から3本目までは本塁打。
87年春、フロリダでアリゲーターと格闘したことから「ゲーター」と言うあだ名がつく。
左翼のレギュラーになり、88年には左翼でリーグ1位の14捕殺、打率.325で3位、18敬遠もリーグ1位。
オールスターにも選ばれ、MVP投票でも2位。一躍スター選手となる。オールスターではブレットとプレー。ブレットに「ウェイド・ボッグスのクローン」と言われた。
以後もアベレージヒッター、好守の外野手として活躍するが、91年7月にトミー・ジョン手術、右膝の関節鏡手術を受ける。
93年には復帰するが、故障がちとなる。96年に契約満了となり、レッドソックスからは1年契約を提示されるがこれを蹴って退団。
NPBに売り込んだグリーンウェルは、阪神と契約。しかし春季キャンプ中に怪我をしたこともあり帰国。再来日してほどなくして「野球を辞めろという神のお告げがあった」と発言し引退。
アメリカのBR Bullpenにも、Greenwell is perhaps the biggest bust in the history of Nippon Pro Baseball. と記されている。
レッドソックス生え抜きのエリート選手だけにプライドが高く、キャリア後半はずっと不機嫌なままだった印象だ。
引退後、日本で得た年俸でテーマパークを建てたことも日本人の反発を買った。
10月9日、癌のため63歳で逝去。
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