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米田哲也87歳

今から30年前の、阪神大震災の翌日、私は当時勤めていた芦屋市に会社がある広告制作会社に向かうべく、阪神電車に乗った。

しかし阪神は西宮駅までしか開通していなかったので、そこから会社のある打出まで歩くことになった。

駅前の道をしばらく歩いた。周りの民家は半ば倒壊していたが、そんな一軒の前に椅子を出して呆然と座てっている男がいた。米田哲也だった。おそらく自宅が倒壊し、なすすべもなく座り込んでいたのだと思う。

米田は当時57歳、前年まで評論家をしていたが、この年から近鉄バファローズの投手コーチになることが内定していた。

当時はまだ立派な体格で、髭面の野武士然とした風貌は目立っていたが、未曽有の災害の翌朝だけあって、米田に声をかけるような余裕がある人はいなかった。私も彼の前を無言で通り過ぎた。

帰りに同じ道を通ったが、その時にはいなかった。

米田は95年1年だけ近鉄の投手コーチを務めたのちは、NPB球団の指導者になることはなく、以後30年間、評論家、解説者だった。

と言ってもテレビやラジオでよく見かけると言うほどではない。週刊ポストで私の編集担当でもある人が、米田と懇意で、広岡達朗や、江本孟紀などと「今の若いものは甘っちょろい」的な論調のコメントをするのを見かける程度だった。

どんな私生活をしていたのかは知らないが、村田兆治や門田博光など、昭和の野球界で光彩を放った大選手が、晩年は孤独な生活をしていたという報道が続いた。

現役時代の高カロリー食、多大なアルコール摂取をするような生活習慣が抜けず、生活習慣病に侵される人も多かったように思うし、プライベートでは自己中心的な人も多く、家族と離反している例も多かった。

阪急4大投手の成績

米田哲也は金田正一の400勝に次ぐ史上2位の350勝投手だ。パ・リーグでの通算340勝は歴代1位、圧倒的な投手であり、2000年には殿堂入りしているが、活躍した時代が「灰色のチーム」と呼ばれた西本幸雄監督就任以前の阪急であり、左腕梶本隆夫とともに活躍の割には世間に知られていない。後輩の山田久志の陰に隠れた感がある。

チューハイ缶1位個をポケットに入れて、現行犯逮捕されると言うのは、あまりにも悲しいが、彼はどんな生活をしているのだろうか?

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