小山正明、死去
一昨年のNHKBS「球辞苑」、パームボールの特集の時に出演していって、あ、元気なんだ、と思った。
現役時代は、芥川龍之介の長男で、理知的な演技で知られた役者の芥川比呂志にそっくりだといわれ、人気があった。
キャリアSTATS
高校野球では全く無名の兵庫県立高砂高校出身。甲子園出場はない。この高校からプロ入りしたのは、近鉄の先発、神戸年男と、一軍出場がなかった元近鉄花房健、そして小山の3人だけだ。
阪神には入団テストを受けて入る。183㎝と、当時としては長身で、力感のないフォームから、打者の手元に来て伸びる速球と、パームボールを武器に勝ち星を稼ぎ、阪神のエースとなる。
1962年には27勝を挙げて沢村賞を獲得するが、1959年に関西大から入団した村山実と折り合いが悪く、1964年、11勝に終わると、大毎の山内一弘との「世紀の大トレード」で大毎に移籍した。
今のプロ野球選手は、選手同士の軋轢などほとんどないように思うが、当時の新聞は、政治でも「池田派、佐藤派」みたいに対立をあおったし、あることないこと書き立てたのだ。
そういうこともあって、64年オフには、小山の移籍は「既成事実化」していた。
阪神のレジェンドではあるが、江夏豊や田淵幸一とは重なっていない。
64年に大毎でいきなりキャリアハイの30勝、阪神に移籍してからパッとしなかった山内とは対照的だった。
山内のキャリアSTATS
私が知っているのは、大毎に移籍してからだ。成田文男、木樽正明とともに「ロッテの3本柱」と言われた。
320勝は金田正一(400勝)、米田哲也(350勝)に次ぐ3位。
引退後は、各球団のコーチを歴任したが解説者としても長く活躍。上品な関西弁ながら、結構辛辣なことを言っていたように思う。
監督には一度もならなかった。職人肌の「昭和の野球人」だった。
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